パバロッティ ドミンゴ カレーラス 3大テノール オペラ歌手の魅力
3大テノールのパバロッティ、ドミンゴ、カレーラス、彼らのオペラ歌手としての魅力に迫ります。キング・オブ・ハイC、神に祝福された声と評された豊麗な美声。
赤崎一雄 葉彩画作家 アンビリバボーで紹介
赤崎一雄(アカサキ カズオ) 82年に無彩色の葉を絵の具にした「葉彩画」を発表。
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赤崎 一雄 (アカサキ カズオ)
82年に無彩色の葉を絵の具にした「葉彩画」を発表。84年「熊日総合美術展」入選、86年「美術パリ展」大賞など受賞多数。各地で個展や講習会を開催。著書に『葉っぱ絵入門』『落ち葉のお絵かき かれっぱ絵』等。
葉っぱ絵入門
葉っぱが絵画に変身! 自然の葉を切り貼りして描く「葉っぱ絵」は手軽でしかも素材を探す楽しみも味わえる、まさに“自然の恵みと共にあるアート”。中高年の新しい趣味として大注目!
2007年8月23日にアンビリバボーで放送されました。
あらすじ アンビリバボーバックナンバーより引用
終戦を間近に控えた1945年2月、熊本県八代市に住む赤崎家は悲しみのどん底にいた。父易雄さんの戦死の知らせに続き、次男と長女が肺炎を患い病死し、母アヤノ(33歳)と長男の一雄(7歳)の二人だけになってしまったのだ。泣き続ける一雄に、母は「捨てる神あれば拾う神ありよ」と励ました。
終戦と共に生きるための戦いが始まった。アヤノは、夫が働いていた鉄道会社で車両清掃員として働き始めた。仕事は重労働で給料は安かったが、それでも絵を描くのが大好きな一雄を喜ばせようと、当時高価だったクレヨンを買ってきてくれることもあった。一雄はそれでたくさんの絵を描き、アヤノは「一雄は将来、絵描きになるのかねぇ」と笑顔を見せた。
父親がいなくても人並みの暮らしをさせたいというアヤノの愛情に包まれ成長した一雄は、猛勉強の末、地元の進学校へ進んだ。
しかし1954年、アヤノは重労働による過労で倒れてしまった。弱音は決して吐かないが、長年の苦労でやつれ果てていた母を見て、一雄は大学進学をせずに働くと言った。アヤノはそんな心配はしなくていい、と答えたが、一雄はいつか母を楽させたいと思っていた。
382_02_02 しかし現実は厳しく、地方では就職口がなかなか見つからず、ようやく見つけた会社も倒産してしまった。そうして職を転々とするうちに一雄は31歳になっていた。このままではいつまでたっても母に楽をさせられないと思った一雄は、絵のセンスを活かせるインテリア業の会社をたちあげることにした。
当時は高度成長期で住宅建設ラッシュにより、内装を手がけるインテリア業は注目の的でもあった。だが、やっと親孝行ができるようになったと喜んでいた時、突然取引先の大手建設会社が倒産し、連鎖倒産により膨大な借金を抱えることになってしまった。そして、母が苦労して手に入れた家を借金のカタに取られた。
泣いて謝る一雄にアヤノは、「自分のものを売っただけで、人様のものを売ったわけじゃないから」となぐさめ、一切愚痴を漏らさなかった。
落ち込んでいる場合ではないと一雄は必死になって仕事を探し、冠婚葬祭の会社に就職した。真面目な勤務が評価され、職場で出会った女性と結婚もした。家族のために地道に働き、残った借金2000万円を少しずつ返済しようとしていた頃だった。
382_02_03 一雄の2000万円の借金の債券が知らないところでヤクザに渡っており、執拗な取り立てが始まったのだ。金の工面のために駆けずり回ったが、何も担保がなかったために困難だった。
万策尽きた一雄は、気づくと死を考えながら山道を一人で彷徨っていた。そんな時、幼い頃の記憶が蘇った。「捨てる神あれば拾う神ありよ」という、決して弱音を吐かなかった母の言葉だ。その時だった。木漏れ日に厳かに輝く白い落ち葉が彼の目を釘付けにした。よく見れば他の落ち葉も綺麗だった。気づくと一雄は必死で落ち葉を拾い集めていた。
家に帰ると、クレヨンを使って思う存分絵を描いていた幼い頃の充実感が蘇り、一雄は落ち葉の色で絵を描こうとしていた。大好きだった絵で、最後の勝負をしてみたいと思ったのだ。世界でも例を見ない「落ち葉で描く絵画」への挑戦だった。
それから一雄は、仕事の合間に絵の素材となる落ち葉拾いをした。近所の人は借金苦で行き詰まったのだと噂した。
382_02_04 さらに、実際の絵作りでも困難が待っていた。ベニヤ板に貼った紙に下書きをし、そこに落ち葉を絵の具のように切り貼りするのだが、乾かすために数日置いておくと落ち葉が変色し、さらには虫食いでバラバラとはがれ落ちてしまったのだ。
虫食いは消毒液と防腐剤を吹き付けて殺菌することで解決した。貼付ける糊も虫が寄り付かない合成糊を使用した。変色の問題は、新聞紙に落ち葉を挟んで乾燥させ、色が落ち着くのを待つことで解決した。一人で試行錯誤しながら、昼間は仕事、それ以外の時間は落ち葉の絵画に費やした。
そんな時、アヤノが袋一杯に落ち葉を拾ってきた。近所の人に「何にするんですか?」と聞かれると笑って「煎じて飲むと薬になるんですよ」と答え、人目も気にせず一人で集めてきたのだ。
そして落ち葉を拾い始めてから1年が過ぎた1981年、自分が生み出した芸術を世に問うべく、地元の美術展に作品を持ち込んだ。「葉彩画」と自ら名付けた、絵の具などを一切使わない斬新な落ち葉の絵画だったが、邪道だということで受け入れられなかった。
382_02_05 それでも葉彩画に魅せられた一雄は没頭し、様々な質感と色彩を、色々な種類の落ち葉を組み合わせて表現する方法を磨いて行った。しかし、相変わらず美術界の反応は冷ややかだった。さらに借金の過酷な取り立ても続き、拾う神は現れないのか、と思っていた時だった。
一本の電話が赤崎家にかかってきた。電話を取ったアヤノが困っていたので電話を代わると、それはフランス語の電話だった。実はひと月ほど前、芸術の本場パリの美術展「サロン・ド・パリ」に日本の新人の作品を持ち込む窓口をする美術出版社に、自分の作品を託していた。その美術展に一雄は地元の朝市の様子を描いた作品を出品し、これがなんと大賞を受賞したのだ。
拾う神が現れた。芸術の都・パリが認めたことで、葉彩画を取り巻く環境は大きく変わった。注目度が上がり、初心者用の落ち葉で絵を描く本が出版され大きな反響を呼んだ。
一方、葉彩画に対する批判もなくなり個展が開かれるまでになった。そしてその成功を母アヤノは誰よりも喜んだ。数年後、アヤノは入退院を繰り返すようになったが、病を感じさせない笑顔で息子の活躍を喜んだ。
382_02_06 借金の問題も解決し、アヤノの口癖である「捨てる神あれば拾う神あり」のお陰で今の自分があることを感謝していた一雄。自分にとっては母親が神様だ、と感じていた。そう言うと、アヤノは「恐れ多いよ」と笑った。
次の個展は福岡で行われることになっており、一雄はアヤノが退院して来てくれるのを待ち望んでいた。だがアヤノは福岡の個展が開かれる前に、息子の成功を見届けて79歳の生涯を閉じた。
一雄さんは、今頑張る原動力に一番なっているのは母親であると、涙を見せた。
今年の5月には自分だけのアトリエ「赤崎一雄アトリエ・ステーション」を開いた。そこにはひときわ目を引く大きな作品がある。「野良に贈ったパンと迷夢」。マジシャンが野良犬や野良猫に魚や肉を出して見せるというこの作品には、落ち葉を魔法のように芸術に変えた一雄さんの人生が重ねられているという。
そのマジックの種明かしは、母が教えてくれた不屈の精神なのかもしれない。
現在一雄さんは、全国で葉彩画の教室を開き落ち葉の魅力を広めている。
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